青年部年間拝読御書

第4章 三世にわたる信心の持続<br />「今この瞬間」に幸福の因を築け

青年部拝読御書「生死一大事血脈抄」研鑽のために④第4章 三世にわたる信心の持続
「今この瞬間」に幸福の因を築け

 青年部拝読御書「生死一大事血脈抄」を学ぶ連載の第4回は、第4章を解説。過去・現在・未来の三世にわたって切れない宿縁について学ぶ。

御文

  過去に法華経の結縁強盛なる故に現在に此の経を受持す、未来に仏果を成就せん事疑有るべからず、過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり、謗法不信の者は「即断一切世間仏種」とて仏に成るべき種子を断絶するが故に生死一大事の血脈之無きなり(御書1337㌻9行目~11行目)

通解

  過去世において、法華経との結縁が強盛であったので、現在世においてこの経を受持することができたのである。未来世において仏果を成就することは疑いない。
 過去の生死、現在の生死、未来の生死と、三世にわたる生死の繰り返しにおいて法華経から離れないことを法華の血脈相承というのである。
 謗法不信の者は、法華経譬喩品第3に「すなわち世間の仏種を全て断じてしまうであろう」と説かれて、成仏するための種子を断絶するがために、生死一大事の血脈はないのである。

挿絵

 これまでの章で、生死一大事血脈の大法である妙法蓮華経を受持する要件を学んできた。
 第1の要件は、久遠実成の釈尊が身をもって示し、皆成仏道の法華経の真髄として説かれた「妙法蓮華経の生死」「仏界の生死」と、全ての衆生の生死とが、本来全く差別がないと信じて、題目を唱えるべきであるということ。
 第2の要件は、「臨終只今」と覚る決定した信心が大切であり、生涯、「臨終只今」の信心を貫き、その総決算として「臨終正念」を成就すべきことである。
 臨終正念を遂げるためには、人生の最後の一瞬まで、臨終只今の信心を持続し、「生涯不退転の信心」を貫いていくことが不可欠となる。
 ここで銘記しなければならないのは、「生死一大事血脈抄」においては、「今世」だけでなく、「三世の生死」という、より深い生命観から、「不退転の信心」の大切さを示されている点である。
 今世において、生涯、正しい妙法受持を貫いて臨終正念を遂げれば、今世の生死だけでなく、「過去の生死」「現在の生死」「未来の生死」という「三世の生死」の総体が「法華の血脈相承」として結び付いて一体となる。すなわち三世が「妙法蓮華経の生死」として一貫し、生死一大事の妙法蓮華経が受け継がれていくのである。

現実世界で戦う仏

  「過去に法華経の結縁強盛なる故に現在に此の経を受持す、未来に仏果を成就せん事疑有るべからず」の御文は、過去の結縁が原因となって現在の法華経受持の結果があり、現在の受持を貫けば未来の仏果の成就は疑いないという、三世にわたる因果の法理を明かされている。
 この一節は、法華経受持によって今世の生死が変革されれば、三世永遠の生死流転の総体が変革されることを示されていると拝することができる。今世における妙法受持によって真実に目覚めた境涯から過去の生死流転を捉えなおすと、法華経の結縁が強盛であったと見ることができる。過去世の生死流転の中における法華経結縁によって今世の法華経受持があり、今世の法華経受持を生涯、貫くことによって臨終正念を遂げ、未来世には仏果を成ずるのである。
 未来世の仏果とは、別世界の浄土に安住することでもなければ、超越的な仏の姿をとることでもない。どこまでも生と死の流転の中にありつつも、大宇宙の慈悲の行業をわが身に感じながら、現実世界で苦しむ人を救うために戦い続ける仏の姿をとることである。それゆえに、過去世も、現在世も、そして未来世も、生死の姿をとるのであり、これを「三世の生死」と言われているのだ。
 池田SGI会長は述べている。「今世の信心によって、三世永遠の流転の方向が定まる。幸福と慈悲の流転となるか、それとも悲哀と悪の流転となるかが決まる。信心とは、無限の希望です。未来永遠に幸福になる因を、『今世』で、そして、『今この瞬間』で築くことが必ずできる。凡夫には不可思議ですが、厳然とその功力があるからこそ、『妙』なる『法』なのです」

不退の心を貫いて

  さらに「過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり」と仰せである。すなわち、過去・現在・未来という三世にわたる不退の信心の持続に「法華の血脈相承」があるのだ。
 正法を信じず、謗った場合には、法華経譬喩品第3に「則ち一切世間の仏種を断ぜん」(法華経198㌻)と説かれているように、この自身の内なる仏性の種子を現す道を断絶することになるため、生死一大事の血脈もまた断ち切ることになる、と仰せである。

挿絵

池田SGI会長の講義から

 大聖人の生死論、仏法の生命観から言えば、今世の人生の頂点は「臨終」にあることは明らかです。臨終は人生の最終章であるとともに、次の生への出発だからです。
 日蓮大聖人は「何よりもまず、臨終のことを学ぶべきである」と明快に仰せであります。戸田先生も「信心の目的は臨終のためにある」と、よく言われた。
 したがって、大前提として、「持続」「不退」の信心とは、人生の最終章に向かって、「月月・日日に」深まっていくものである。いな、深めていくものだという点を、強く銘記することが大切です。(『生死一大事血脈抄講義』123~124㌻)
                                 ◇
 大聖人の仰せ通りに現実に広宣流布を進めている学会の中で行学に励んでいくことは、まさに一生成仏に向かって、信心をたゆみなく、しかも確実に深めていく力用があるのです。
 「あいは葉のときよりも・なをそむれば・いよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし」(御書1505㌻)との仰せのとおりです。毎日毎日の実践で、私たちの生命は、いよいよ妙法蓮華経に染めあがっていくのです。具体的には「信仰」の深化とは、「祈り」の深化です。祈りは、その人の境涯の表れです。祈りの内容や祈る一念が深まっていってこそ、「持続」「不退転」の信心なのです。(『生死一大事血脈抄講義』124~125㌻) (創価新報2016年2月17日号)