青年部年間拝読御書

第5章 異体同心の信心<br />師と共に麗しき生命の連帯を

青年部拝読御書「生死一大事血脈抄」研鑽のために⑤第5章 異体同心の信心
師と共に麗しき生命の連帯を

 青年部拝読御書「生死一大事血脈抄」を研さんする連載の第5回は、第5章を解説。異体同心の団結こそ妙法弘通の目的であることを学ぶ。

御文

  総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か、剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し(御書1337㌻12行目~14行目)

通解

  総じて日蓮の弟子檀那らが、自分と他人、彼と此という分け隔ての心をもたず、水と魚のように親密な思いを抱き、異体同心で南無妙法蓮華経と唱えたてまつるところを生死一大事の血脈というのである。しかも今、日蓮が弘通する所詮はこれである。もし、この通りになるならば、広宣流布の大願も成就するであろう。これに反して、日蓮の弟子のなかに異体異心の者があれば、それは例えば、城の中にいる者が内部から城を破るようなものである。

挿絵

 生死一大事の血脈が通う信心の姿勢の、第3の要件として、異体同心の和合僧(仏法者の集い)の中で団結して信心に励んでいくことを挙げられている。異体同心でなければ、成仏の法である妙法蓮華経は広く伝わらないということである。
 第1、第2の要件は、個人に血脈が通う信心の在り方であったが、この第3の「異体同心の信心」によって、広宣流布を目指す和合僧団全体にも血脈が通っていくことを示されている。

互いを尊重する姿勢

  まず「自他彼此の心」とは、自分と他人を差別し、断絶を設ける心をいう。例えば自分の利害だけを考えて他者のことを顧みない自己中心の心が、これに当たる。「自他彼此の心なく」とは、そういう差別の心、利己心、敵対感情を退けなければならないということである。
 池田SGI会長は『生死一大事血脈抄講義』で、「人間は、ともすると、権力や名誉や利害に心を奪われ、地位や立場などに強い執着をもち、さらに名聞名利に流されて、『自己中心』になっていきがちです。信心とは、結局、この『自己中心』の心との戦いです」と述べている。
 次に「水魚の思」とは、離れがたい親密な情をあらわしたものである。すなわち、魚と水とは切っても切れない関係にあるように、各人が互いに尊重し、守り合い、感謝し合っていくことである。有名な「三国志」では、劉備玄徳と諸葛孔明の緊密な関係を「水魚の交わり」という言葉で表現している。
 このことについてSGI会長は、「端的に言えば『仲よく!』ということです。師弟を根幹として、同じ大目的をめざし、ともに触発しあい、励ましあい、支えあって前進すれば、自然に仲がよくなります。前進の勢いがみなぎっている組織は、決まってリーダー同士の仲がよいものです」と講義している。
 「異体同心にして」とは、人それぞれに身体は異なっているが、心を同じにたもつことを示す。「異体同心なれば万事を成じ」(御書1463㌻)と仰せのように、人が集まって一つのことを成就しようとした場合、最も大切なことは異体同心の団結である。
 「異体」とは、顔形から性格、才能、趣味など、人それぞれの個性や特質が異なることをいい、また社会的立場や経歴などが異なっていることを意味する。「同心」とは、目的観や価値観、また信心、志などを同じくすることである。
 SGI会長は「同心」について、「大聖人の仏法では、『妙法への信心』と『広宣流布の大願』を同じくすること」とし、さらに、「いわば、法を中心として『個』と『全体』の調和する姿が、仏法の『異体同心』です。この言葉には、多彩な人材群が、互いに触発しあって広宣流布へ前進していく躍動の姿が凝結していると言っていい」と述べている。
 所詮「同心」とは、御本尊を信ずる心を同じくすることであり、さらに「大願とは法華弘通なり」(同736㌻)、また「日蓮と同意ならば」(同1360㌻)と仰せのように、大聖人が御遺命された広宣流布の大目的を自己の使命とすることにほかならない。  このように、自他彼此の心なく、水魚の思いを成して、異体同心で御本尊根本、信心第一に精進していくその生命のなかに、生死一大事の血脈、すなわち仏の偉大な生命が、脈々と涌現していくと仰せである。

広布こそ仏法の目的

  「然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり」とは、大聖人の妙法弘通の究極目的は、この麗しい生命連帯の実現にあるということである。  異体同心の輪を広げていく実践の積み重ねのうえに「若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」と仰せのように、必ず広宣流布の大願は成就すると断言されている。
 反対に、そこに「異心」を持ち込む人は、破和合僧の逆罪を犯す人であり、妙法蓮華経の血脈に背くことになるので、誹謗正法の重罪を犯すことになる。
 ゆえに「剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し」と戒められているのである。
 「異体異心」とは身体が異なっていて、心も各々異なっていて、自分勝手で団結のない姿をいう。
 すなわち、城の中にいる者が一つの城を守る場合に、内側からその城を破る、つまり敵方に通じて城門を開き、敵を招き入れるようなもので、いわゆる獅子身中の虫である。
 SGI会長は講義の中で、「同心」とは、「広宣流布の大願」「同志を尊敬する心」「師弟不二の信心」であることを述べ、「三代の師弟によって示された広宣流布に戦う根本精神が異体同心の組織の中に脈動していくとき、創価学会は、民衆を救済する仏の大生命力を恒久的に持ち続ける」と述べ、戸田城聖第2代会長の、「未来の経典には『創価学会仏』の名が記される」「戸田の命よりも大切な学会の組織」との言葉を紹介している。
 そして、後継の弟子に「三代の師弟が築いた仏意仏勅の和合僧団を拡大していっていただきたい。それ自体が、広宣流布の道であり、世界平和への確かな前進だからです」と呼び掛けている。

挿絵

池田SGI会長の講義から

 「異体同心」についての大聖人の教えの要点を述べれば、第一に、異体同心こそ万事において「事を成就するための鍵」「勝利の要諦」であると強調されています。
 第二に、特に仏と魔との戦いである末法広宣流布においては、「異体同心の団結」が絶対に不可欠である。
 そして、いかに広宣流布を妨げる悪の勢力が強くても、「異体同心の団結」があれば、必ず勝ちこえていけるとの大確信を打ち込まれています。(『生死一大事血脈抄講義』136㌻)
                                 ◇
 「仏の大願」「師の心」に自分の心を合わせるのが異体同心です。その意味で、異体同心の核心も「師弟不二」にあるといってよい。
 本抄では、大聖人の弘通の「所詮」つまり目指すところは、「異体同心」の実現にあるとの重要な御指南をされています。
 これは、異体同心の組織こそが、仏の血脈を通わせることができるからです。師弟不二の実践を、どこまでも大きく広げ、いつまでも長く通わせる力を持っているのが、異体同心の和合僧です。(同138~139㌻) (創価新報2016年3月16日号)