青年部年間拝読御書

第6章 一切衆生救済の大慈悲と師弟の宿縁<br />「常に師と倶に」使命の道を邁進

青年部拝読御書「生死一大事血脈抄」研鑽のために⑥第6章 一切衆生救済の大慈悲と師弟の宿縁
「常に師と倶に」使命の道を邁進

 青年部拝読御書「生死一大事血脈抄」を研さんする連載の第6回は、第6章を解説。いかなる苦難も越えゆく、三世にわたる師弟の絆について学ぶ。

御文

  日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに・還って日蓮を種種の難に合せ結句此の島まで流罪す、而るに貴辺・日蓮に随順し又難に値い給う事・心中思い遣られて痛しく候ぞ、金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺豈真金に非ずや・法華経の金を持つ故か、経に云く「衆山の中に須弥山為第一・此の法華経も亦復是くの如し」又云く「火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わず」云云、過去の宿縁追い来って今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ。(御書1337㌻14行目~1338㌻2行目)

通解

  (日蓮は)日本国のあらゆる人々に法華経を信じさせ、仏に成る血脈を継がせようとしているのに、かえって日蓮を種々の難にあわせ、揚げ句のはてはこの島(佐渡)にまで流罪にした。
 それにもかかわらず、あなた(最蓮房)は、日蓮の弟子となって従い、また難にあわれている。その心中が思いやられて心を痛めている。
 黄金は大火にも焼けず、大水にも流されず、また朽ちることもない。鉄は水にも火にも、ともに耐えることができない。賢人は金のようであり、愚人は鉄のようなものである。あなたは法華経の金を持つゆえに、まさに真金である。
 法華経薬王菩薩本事品第23に「多くの山の中で須弥山が第一であるように、この法華経もまた一切経の中で第一である」とあり、また「火も焼くことができず、水も漂わすことができない」と説かれている。
 過去の宿縁に運ばれて、今度、日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦・多宝の二仏こそ、ご存じであると思われる。法華経化城喩品第7の「いたるところの諸仏の国土に、常に師とともに生まれる」との経文は、決して、嘘ではないであろう。

挿絵

 日蓮大聖人が、一切衆生に生死一大事の血脈を継がせようとされたために難にあわれたことを述べられ、厳しい状況の中で弟子となった最蓮房との深い因縁を述べられて激励されている。

万人に開かれた人間主義の宗教

  「一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめん」とは、大聖人の弘通の本意を示されている。また、血脈は一切衆生、すなわち万人に開かれていると拝するのが、大聖人の御心にかなったものである。
 大聖人は、日本国の全民衆を救済しようと、一切衆生に血脈を継がせる闘争を開始されたのだが、当時の日本国の人々は、この大聖人の御心を知らず、かえって死罪・流罪を含む、身命に及ぶ大難をもって報いた。
 この御文には、「血脈」の本義が示されている。すなわち、仏法の血脈とは「万人に開かれている」ものであって、一握りの人間が独占するようなものではない。人間主義の宗教に反する血脈は、権威主義の宗教の象徴にほかならない。
 日顕宗では、法主だけが特別の秘密の法門を知っているとか、特別の悟りが伝わるなどという神秘的な血脈を主張している。このような閉ざされた血脈観は、明らかに大聖人の仰せに背いている。
 池田SGI会長は、『生死一大事血脈抄講義』の中で、「この血脈の本義は、どれほど強調しても、強調しすぎることはないと言えるほど重要なことです。なぜならば、この血脈の本義を弁えるか否かが、『人間主義の世界宗教』と『権威主義の邪宗門』とを分ける分水嶺とも言えるからです」と述べている。

いざという時に立ち上がる人に

  最蓮房はすすんで大聖人に随順し、それゆえに難も受けたようであるが、大聖人への信心は微塵たりとも揺るがなかった。大聖人はそれを「金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず・鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し・貴辺豈真金に非ずや・法華経の金を持つ故か」とたたえられている。
 その人の信心が本物か偽物かは、難を受けた時の振る舞いによって試される。困難な苦境にある時、また、いざという時に立ち上がる人こそが本物の信心を持つ人である。
 そのことを大聖人は金と鉄の譬えをもって教えられている。金は金属の中で最も安定した物質といわれ、火に焼かれても水につけられても変質することはない。それに対して鉄は火に焼かれれば変化し、水につけられれば錆びてしまう。賢人は金のように、どのような苦難にあってもその信念と生き方が揺らぐことはない。逆に愚人は、普段は調子のいいことを言っていても、難に直面すると、たちまち変質してしまう。私たちは、順調な時でも逆境の時でも、変わることのない賢人の道を歩んでいきたい。
 ここで大聖人が最蓮房に対して「真金の人」と称賛されているのは、一つは最蓮房が苦難の中でも大聖人の弟子として信心の誠を示したからである。大変な時に真剣に戦った人の振る舞いを、大聖人は深くくみ取られているのだ。
 また、もう一つの理由は、「法華経の金を持つ故か」と仰せのように、最蓮房が法華経という偉大な法を受持しているからであると言われている。
 「持たるる法だに第一ならば持つ人随って第一なるべし」(御書465㌻)と仰せのように、仏法では、その人の貴さは、その人が持っている思想の高さによって決まると見る。財産でも社会的な地位でもなく、偉大な妙法を持ち、広宣流布に戦っている人こそ人間として最も貴い人生を歩む人なのである。
 SGI会長は、師匠に随順した最蓮房の覚悟について、「この法華経の行者とともに邁進し抜いていくことこそが、法華経の真髄であり、極意であることを、最蓮房は即座に、そして正確に理解したに違いない。だからこそ、迷いなく師とともに忍難の道を選べたのではないだろうか」と語っている。
 続いて大聖人は、法華経薬王品から二つの経文を引用される。
 初めの文は妙法の偉大さを示す。
 次の文は妙法を受持した人の福徳の大きさを説く。火というのは煩悩を、水というのは生きることの苦しみを譬えたもので、御本尊を受持して真剣に題目を唱えていく人は、どのような悩みにも負けることはない、不壊の境涯を得るということを断言されている。
 もちろん、長い人生の間には順調な時もあれば、悩みに直面することもある。その時に、この経文が示すように〝御本尊に真剣に祈っていけば、どんな悩みも乗り越えられないわけはない〟という強い確信に立って前進することが大切なのである。
 さらに、大聖人が佐渡流罪という大法難にあわれているさなかに最蓮房が弟子になったということは、過去の宿縁による不思議な巡り合わせ以外になく、それは仏にしか分からないことであると言われている。
 そして、この大聖人と最蓮房の不思議な巡り合わせは、法華経化城喩品第7の「在在諸仏土常与師倶生」(法華経317㌻)の経文の通りであるとされている。これは、釈尊とその弟子の例を通して師弟の絆が三世にわたるものであることを示した有名な文である。師匠である仏とその弟子は、必ず共に生まれてきて、共に仏法を行じていくことが示されている。
 最蓮房だけでなく、学会員もまた過去世からの宿縁があるゆえに今日、御本尊に巡り合い、世界広宣流布の活動をしていると言える。私たちが、大聖人が御自身の生命を顕してくださった御本尊を受持して信心に励むことこそ、大聖人と共に生きていることになる。
 また、現代における師匠は、創価三代の会長である。三代の会長は、自ら死身弘法に邁進し、私たちに信心と広宣流布の使命を教えてくださった。
 私たちは久遠からの同志である。その因縁で今、この世界広布の時にあって、三代の会長の指導のもと、創価学会・SGIという世界的な和合僧団が、広布推進の使命を担って現れたのである。
 親子や兄弟などの血縁、あるいは職場の人間関係など、さまざまな人間の縁の中でも、師弟の絆こそ、最も深く、強きものであると言える。人は生き方の根本的な道を、師によって教えられるのだから。 (創価新報2016年4月20日号)