創価の思想を学ぶ

第10回 創価のルネサンス㊤

第10回 創価のルネサンス㊤創価三代が築いた人間主義の大潮流(10)

日蓮大聖人直結で世界宗教へ飛翔
宗祖の御精神に違背し学会を破門した邪宗門

 創価学会が、宗門の興隆のために行った登山会の参加者は、第二代・戸田先生から第三代の私の時代を通して、実に七千万人に上る。
 大石寺の大整備を行い、末寺の寄進は海外を含め三百五十六にもなった。
 仏法史上において、空前絶後の真心の供養を受けながら、あの邪宗門の輩は、恩に報いるどころか、無量の金銭を握りしめ、悪逆の限りを尽くしたのである。
 極悪の天魔と化して和合僧を破壊し、広宣流布を妨害せんとした邪宗門は、未来永劫にわたって、堕地獄である。無間地獄である。(「随筆 人間世紀の光」〈正義の東海道を讃う㊦〉)
  
 1990年(平成2年)は、大石寺の開創700年にあたっていた。静岡青年部が、9月に行われる慶祝文化祭の練習を重ねていたころ、法主であった日顕は、取り巻きの坊主をひそかに集めた。日顕自身が「C作戦」と命名した、学会破壊の計略を謀議していたのだ。
 その年末、何食わぬ顔で学会が寄進した寺院を受け取った日顕は、突如として宗規を改変し、12月27日、池田名誉会長を法華講総講頭から罷免する。
 そして学会首脳との対話を一切拒否したまま、翌年7月には従来の学会による登山会(大石寺への参詣)を廃止。登山を口実に檀徒づくりを企み、広布破壊をもくろんだのである。
 さらに学会の批判を封じるため、法主は「大御本尊と不二の尊体」、〝法主は現代の大聖人様〟などとする前代未聞の邪義を宗内に展開した。
 しかし、学会は微動だにしなかった。焦った日顕は、91年(同3年)11月28日、御書の引用が全くなく、坊主の空疎な権威だけを振り回している、笑止千万の「破門通告書」なるものを学会に送りつけてきた。
 日顕と邪宗門は、まさに御書に示された、僭聖増上慢の姿を現したのである。

挿絵

「師弟の道」を綴る「新・人間革命」の執筆開始

 学会は、広宣流布を推進してきた、仏意仏勅の使命の団体である。その学会を破門にした宗門は、信心の血脈をみずから断ち、戦時中の、あの、大聖人に唾吐く、大謗法にまみれた濁流へと戻った。
 それは、また、学会にとっては、信徒支配の日顕宗の嫉妬と陰湿な鉄鎖から解き放たれた、「魂の独立」でもあった。(「随筆 新・人間革命」〈宗教革命の旭日〉、『池田大作全集』第129巻所収)
  
 学会破壊を企てた日顕だったが、逆に宗門は信徒の98%を失い、汚辱と謗法にまみれた〝日顕宗〟へと転落した。
 同時期、世界の識者は、名誉会長の思想と行動に讃嘆を寄せていた。
 90年(同2年)7月、冷戦終結の立役者、ソ連(当時)のゴルバチョフ大統領は、名誉会長との初会談の席で、日本政府が念願していた訪日の意向を表明。翌年4月、ソ連の国家元首として初めてとなる来日を果たし、迎賓館で名誉会長と再会した。
 90年10月には、約1万日の獄中闘争を耐えた南アフリカの人権の闘士ネルソン・マンデラ氏と会見。のちに大統領として訪日した際も、平和を展望し、教育や人権について語り合った。
 その後も、名誉会長は悠然と世界広布の指揮を執りながら、93年(同5年)2月11日、小説『人間革命』の新聞連載を全12巻まで完結させると、同年8月6日からは、後継の「弟子の道」を綴るために、『新・人間革命』の執筆を開始した。さらに、渾身のスピーチを重ねて、世界の同志に、なかんずく青年に、仏法の真髄と師弟の精神を打ち込んでいったのである。
  
 随自意でいけば、当然、反発もある。大聖人も、あらゆる迫害を一身に受けられた。
 随他意であれば大難はなかった。あえて随自意で進み、難と戦い、難を乗り越えて仏になっていくのが、大聖人の仏法なのである。(東北栄光総会でのスピーチ、『池田大作全集』第84巻所収)
  
 一方、邪宗門は広布破壊を企て学会員への御本尊下付を停止。しかし学会は、日寛上人書写の御本尊授与を開始し、真実の和合僧団による、末法万年への広布の扉が開かれたのである。

挿絵

最高峰の大学・学術機関で仏法の生命哲学を発信

 90年代に入ると、世界の大学・学術機関からの要請に応え、名誉会長は冷戦後の新たな世界の在り方などを示す講演を重ねていく。
 ノーベル賞受賞者らが講演に耳を傾け、講演が各国の紙誌に掲載されるなど、世界に大きな反響を広げていった。
 とりわけ、世界最高峰のハーバード大学では、91年(同3年)の「ソフト・パワーの時代と哲学」の講演に続き、93年(同5年)には、「21世紀文明と大乗仏教」とのテーマで2度目の講演。仏法の真髄が説き明かされた死生観に、世界的経済学者のガルブレイス博士ら居並んだ第一級の知性から、絶賛の拍手が寄せられた。
  
 「如説修行抄」には、「三類の強敵」と戦い抜いた生涯は、ありとあらゆる諸天善神に擁護されながら、常寂光の仏国土に至ると説かれる。
 ハーバード大学での二回目の講演の一カ月後、東京の八王子に、牧口記念会館が誕生した。初代会長の殉教から五十年目の秋であった。
 日本の国家主義によって、三畳間の独房で獄死された牧口先生が、堂々たる大殿堂に顕彰された。
 月々日々に、広宣流布の闘士が颯爽と集い、世界中から知性の賓客が絶えない。
 それは、「生も歓喜」「死も歓喜」を象徴する、創立の師の生死不二の宮殿である。(「随筆 新・人間革命」〈仏法の生死観〉、『池田大作全集』第131巻所収)

(創価新報2012年10月3日付12面から転載)