創価の思想を学ぶ

第5回 恩師の構想実現

第5回 恩師の構想実現創価三代が築いた人間主義の大潮流(5)

師子奮迅の闘争で民衆の城を拡大
人類の幸福のために世界広布の第一歩をしるす

場内から、身震いするようなうねりの音が聞こえてきた。
もう一度、また、もう一度と、吹き鳴らしゆく音楽隊の大演奏が、巨大な日大講堂を揺り動かしていった。
一九六〇年(昭和三十五年)の五月三日、第三代会長の就任式である。(「随筆 新・人間革命」〈晴れ渡る五月三日〉、『池田大作全集』第131巻所収)
  

戸田第2代会長の亡き後、総務として創価学会を支えていたのが、若き日の池田名誉会長であった。だが、会長職はいまだ空席だった。
やがて青年部を中心に「第3代会長の推戴を急げ」との声が広がっていった。名誉会長は、学会首脳の再三再四にわたる懇請を受け、ついに32歳で会長に就任した。
1960年(昭和35年)は、立正安国論の上呈から700年にあたっていた。
就任からわずか5カ月後の10月2日。名誉会長は、羽田の東京国際空港から、最初の世界平和への旅となる、北南米訪問に出発した。
  

戦争を永遠に葬り、断じて平和の世紀を創るのだ! 
それには、生命の尊厳の大法を叫び抜き、世界広布を遂行していくしかない。 
私の胸ポケットには恩師の写真があった。
世界広布の長征を、師弟一体で開始したのだ。(『随筆 出発の光』〈人類の平和の大道〉)
  

翌61年(同36年)には、アジア、ヨーロッパへと旅立つ。恩師の遺訓である世界平和の実現に向けて、戦火と対立に包まれた地球の命運に挑むように、不二の弟子は戦いを開始した。

挿絵

仏法を基調とした「平和・文化・教育」の推進

戸田門下生を代表して、広宣流布の指揮を執る――。会長就任の席で師子吼した通り、名誉会長は恩師の構想の実現へと走った。「国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」との戸田会長の「国士訓」のままに、61年(同36年)11月5日には、東京・国立競技場に男子部の〝精鋭10万人〟の結集を実現する。
当時、民衆勢力の台頭を恐れた権力による「大阪事件」によって、名誉会長は事実無根の容疑で被告の立場に置かれていた。有罪判決となれば会長辞任は避けられない。
弁護士までもが、検察の主張を覆すことは難しいと言った。
  

先生の弟子として、断じて勝つ。絶対勝利の誓いを胸に、四年三カ月にわたる法廷での戦いに挑んだ。(『随筆 平和への大道』〈師弟常勝の関西魂〉)
  

恩師が「裁判長は、必ずわかるはずだ。裁判長に真実をわかってもらえれば、それでいいじゃないか」と語った通り、62年(同37年)1月、検察の求刑を退け、名誉会長に「無罪」の判決が出る。横暴な権力の魔性を打ち破った創価の師弟は、破竹の勢いで戦いを加速した。
戸田会長は、逝去の直前に「7年で300万世帯」の目標を弟子に語った。師の遺命に対して、同年11月、わずか4年でこれを達成したのである。
東奔西走して民衆の城を拡大する日々の中で、名誉会長は、仏法を基調とした「平和」「文化」「教育」の壮大な構想実現へ、次々と手を打っていった。
62年(同37年)に東洋学術研究所(現・東洋哲学研究所)、翌63年(同38年)に民主音楽協会を創立。64年(同39年)には、恩師の遺訓に従って、大石寺に正本堂を建立寄進することを発表した。
また、牧口初代会長、戸田会長の夢であった創価大学の設立構想も発表。創価一貫教育への第一歩として、68年(同43年)に創価学園が開校し、翌年には創価大学の起工式が行われた。
広布の伸展に伴って、65年(同40年)には聖教新聞が日刊化。67年(同42年)に学会本部に創価文化会館も落成した。

挿絵

一流の識者と文明を結ぶ対話の道を開拓

恩師の真実の姿を厳然と歴史に残さねばならない――。
名誉会長は、若き日から胸中に秘めていたその決意を、小説『人間革命』の執筆へと結実させた。聖教新聞紙上の連載が始まったのは、65年(同40年)元日である。
世界広布の指揮を執りながら、新聞連載を続けることは、まさに命を削る激闘であった。
「戦争の世紀」を「平和の世紀」へと転じゆくために、民衆のリーダーとして、世界との対話の道も開いた。
67年(同42年)に、「欧州統合の父」であるクーデンホーフ・カレルギー伯爵と会談。
世界が東西に分かれて激しく対立し、更に中ソ対立が激化する中、名誉会長は68年(同43年)9月8日、歴史的な「日中国交正常化提言」を発表した。命がけの発言であった。
こうした名誉会長のリーダーシップを、世界の知性たちも強い関心と期待をもって見つめ始めていた。
69年(同44年)には、20世紀最大の歴史家であり、西欧を代表する知性であったトインビー博士から、名誉会長との対談を希望する書簡が届く。
名誉会長は、世界広布の実現へ各国を回り、一人また一人へと妙法の種を蒔いていった。そして、会長就任から10年間で、〝仏法を世界へ〟という恩師の構想を具体化していったのである。
  

師の構想を実現する弟子がいる。これが〝師弟常勝学会〟に脈打つ魂である。
たった一人でも良い。それぞれの時代に、まことの弟子が、厳然と勝利の証を打ち立てていくのだ。(『随筆 我らの勝利の大道』〈栄光の創立八十周年〉)

(創価新報2012年5月2日付12面から転載)