YOUTH コラム

〝最近の若者〟は忍耐力がない?

〝最近の若者〟は忍耐力がない?

昨年、「ブラック企業」が、世相を反映した言葉として「2013ユーキャン新語・流行語大賞」に入賞した。

このブラック企業の問題は、長時間労働やサービス残業等の問題とは異なり、「『若者を使い潰す』という新しい問題」と指摘されている(今野晴貴著『ブラック企業ビジネス』朝日新聞出版)。

若手を育てる意識もなく、過労死や心身の病気へと追い込むような企業には、「石の上にも三年」の精神でとどまる価値はない。

これまで、若者の早期離職の原因として、世間ではマスコミを中心に、「若者に忍耐力がない」といった見方がなされてきた。

それをいいことに、ブラック企業は離職率の高さを〝最近の若者〟のせいにして、利益追求のために彼らを使い潰してきたとも考えられる。

しかし一口に「若者」と言っても、一人として同じ人間はいないという事実を見失ってはならない。安易な「若者論」に踊らされては、新たな社会問題が起こるたびに、若い世代に原因が押しつけられかねない。世代間の分断も進むだろう。

本来、一個の人格を持つ人間は、「若者」「世代」といった抽象的な枠で捉えきれるものではないはずだ。大事なのは、どこまでも「目の前の一人」「具体的な個人」に光を当てて、その可能性を開いていくという哲学だ。

こうした思想性に裏打ちされてこそ、さまざまな政策や取り組みも、青年の力を真に開花させる有効性を持つのである。

イギリスの歴史家・トインビー博士は述べている。

「人間的事象のうちでパターンが事実存在しないと思われるのは、人格と人格のあいだの邂逅接触の分野である。この邂逅接触のなかから、真に新らしい創造といったなにものかが発生するのだと思う」(松本重治編訳『歴史の教訓』岩波書店)

創価学会は、これまで一対一の語らい――人格と人格の触れ合いを通して、若者の心に「困難に打ち勝つ力」「未来への希望」を送ってきた。

不確かな「レッテル」によるのではなく、個性ある人間として互いに向き合い、励まし合っていく社会。私たちの運動は、その建設の歩みでもある。(嗣)(中)