YOUTH コラム

「『魂の独立』から30年 世界宗教への飛翔を青年の手で」

「『魂の独立』から30年
世界宗教への飛翔を青年の手で」

「地涌の菩薩」の自覚

日蓮正宗(以下、宗門)――。世間で名前を聞いたことがある人がどれほどいるだろうか。かつて、創価学会の“外護の赤誠”による恩恵で大興隆を遂げた宗門は、その後、信徒の98%を失い、泡沫教団へと転落。仏意仏勅の学会を破門した宗門に、今、厳しき現証がくだっている。

1990年12月、広布破壊の謀略「C作戦」を実行に移した日顕は、以後、学会の登山会の廃止や学会員を脱会させ寺に隷属させる檀徒作りなど、相次ぐ暴挙で創価の師弟の分断を画策。そして、91年11月28日付で、学会に対して「破門通告書」なる文書を一方的に送付してきた。

「南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(御書329ページ)――日蓮大聖人の仰せのままに、「地涌の菩薩」の使命を果たさんと死身弘法の実践を貫いてきた学会は、「破門」により、法主絶対の邪義で信徒を抑圧する“権威の宗教”の鉄鎖を断ち切った。ゆえに学会では、この日を「魂の独立記念日」と呼ぶ。

御書に「道理証文よりも現証にはすぎず」(1468ページ)とある。学会は、「魂の独立」を果たして以降、世界192カ国・地域に発展。一方の宗門は、件の通り衰退の一途。この30年の盛衰を見れば、もはや勝負は歴然である。

「人間」をどう見るか

今年は「魂の独立」から30周年。時を経て、当時の記憶が鮮明に残っている男子部メンバーは少ない。91年当時、7歳だった私の世代が、大石寺に行った記憶が薄らと残っている最後の世代かもしれない。今こそ男子部が、歴史を学び、その本質に迫ることが重要である。

私の父はよく、信徒を見下す坊主の傲慢な行状を教えてくれた。男子部の唱題会で寺に行くと、「声がうるさい!」と理不尽に怒鳴られたりするなど、いつも嫌がらせをしてきたという。このようなことが、至る所で起きていたのである。

それとは対照的に、全国各地の会館で会合運営を担う我々創価班の友は、大聖人が「最上第一の相伝」(御書781ページ)とされた、「当起遠迎、当如敬仏(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)」(法華経677ページ)の精神のままに、全国各地で、礼を尽くし、笑顔と真心で同志を迎えている。

僧が「上」で信徒が「下」という、宗門の時代錯誤の差別主義は、僧俗はもちろん、一切衆生が等しく仏の境涯に至ることができるとする大聖人の仏法に違背する邪義である。宗門と学会はまさに対極。鮮やかなコントラストである。

米ハーバード大学名誉教授のヌール・ヤーマン博士は、第2次宗門事件について、「SGI(創価学会インタナショナル)が志向するヒューマニズム(人間主義)の確立において、転換点の時期であった」と洞察している。

一人の「人間」を軽賤するか、尊極の存在として敬うか――宗門事件で、まさに、その本質が浮き彫りになったのである。

仏法の人間観

そもそも、仏法は、人間の可能性を信じる宗教である。法華経には、「如我等無異(我が如く等しくして異なること無からしめん)」(130ページ)とある。つまり、釈尊の誓願は、仏である自身と等しい境地に衆生を導くことにあるということである。ゆえに、仏法者とは、人間を根本的に尊敬するのである。

「如我等無異」の経文について、大聖人は、次のように仰せである。

「経に云く『如我等無異』等云云、法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり」(御書1216ページ)

「釈尊と斉等なり」(釈尊と平等である)――これが仏法の人間観である。たとえば、法華経で説かれる不軽菩薩は、たとえ攻撃をしてくるような相手であろうと、出会った人々全てが必ず成仏できると確信して、皆を敬い、決して軽んじなかった。人間を尊敬するのか、それとも軽蔑するのか――これこそ「人間のための宗教」の分岐点であるといえる。

その意味で、人間を軽賤する宗門は、もはや仏法とすら言えない、邪教であると断じたい。

創価班の責務

池田先生は次のように語った。

「大聖人の仏法は、御本尊を信ずる『人間』を、一切の差別なく、最極の尊体とみる。全人類に平等の『世界宗教』たるゆえんがここにある」

人間を軽蔑する宗門と決別したことで、学会は世界宗教への飛翔を開始したのである。池田先生の御闘争、そして、それに連なる同志の戦いによって、世界広宣流布の基盤は築かれた。ここから、世界宗教への飛翔を確かなものにできるかどうかは、私たち青年の手にかかっている。

一人の「人間」を尊敬し抜く精神を根本に、世界教団・創価学会を護り、さらに発展させていくことこそ、私たち創価班の責務であることを忘れまい。

私自身、新たに基本精神に追加された「邪悪を破る」と「広布の勝利を開く」を誰よりも実践し、人間を見下す邪悪と徹底的に戦い、智慧と勇気を湧かせて広宣流布の勝利を開く決意である。

創価班委員長 石田和義